豊洲青果市場へ見学ー青果卸売業における変化と挑戦

豊洲市場の前身である、築地市場は、1935年(昭和10年)から2018年まで83年間にわたり、都内/関東近県の住民に新鮮な野菜と果物を供給してきた。しかし、設備の老朽化やそれに伴う衛生管理上の問題から、1991年(平成3年)東京都は、現在地再整備の改修事業を開始。しかしながら、費用と工期が膨大になることが判明し、2001年(平成13年)に豊洲地区に移転することを決定。2018年(平成30年)に移転完了し、同年10月11日に開場した。築地市場の整備計画は実行まで約20年を要した。

新しい市場は卸売業者とバイヤー向けに、安全・衛生的な積込み・積降し・販売の専用エリアが設けられている。また、一般客や観光客向けに、市場の歴史や働きを見学するエリアも設けられ、市場から直接新鮮な食品を購入することもできる。

今回Breathe TOKYOは豊洲市場で開催した“高知食文化自由研究”に参加する機会を頂いた。Breathe TOKYOは豊洲市場で最大手の東京シティ青果株式会社・事業戦略室の渡瀬さんの協力を得て、一般客の見学エリア以外の”バイヤー専用エリア“を見学させていただくことになった。高知県農業復興部・東京事務所園芸分室の西内さんが、東京で販売している高知県の青果名産物を案内してくださった。最後に、料理の達人・金子健一さんに特別に、豊洲市場で高知県の名産物を使用したヘルシー料理を作って頂いた。

今回の体験で、豊洲市場の運用と青果販売の流れに関してより理解を深めることができた。また、日本の青果販売はこれから変化していき、新たな課題に取り組んでいくのだと感じた。

 

食品の即時配達は社会的サービスの基礎となる

東京シティ青果株式会社は豊洲市場で唯一の青果卸売会社であり、豊洲市場から各地への青果の荷卸しから出荷まで全ての工程を担当している。中央卸売市場の管理者にとって、東京シティ青果株式会社は新鮮な青果販売における生態系の中で、消費者・生産者・物流業者・小売業者間において非常に重要な役割となっている。

印象深かったことは、担当者自身の仕事に対して責任感である。彼らにとって、衛生的で新鮮な青果をお客様に届けることは最も重要であり、青果は水道や電気と同様に社会的に必要なサービスだと信じている。
東京都内には中央卸売市場が11市場設置されており、政府から認可された卸売業者だけが市場の管理や経営を任されている。これにより彼らは一部市場の独占力を持っているが、その代わり、政府が取り決めた様々な取引基準に従わなければならない。例えば、青果の委託販売を拒否することができない、公正な商品販売を行う、指定された販売方法で食材を仕分けする、など。青果の卸売業者は利益獲得だけではなく、災害時に食品/食材調達の調達も担当しており、渡瀬さんとの対談の中で彼らの社会的責任感を強く感じた。

 

 

教育/地域共生の一貫体制

新豊洲市場では様々な設備が整っている。充実した見学エリアや、市場の仕組みや歴史関連資料以外にも、卸売の仕入れの様子が見られる見学ルートも設けられている。だが、青果専門の市場になぜここまで充実した見学エリアを設けられているのだろうか。市場が建てられる前の設計の段階で、既に決まっていたことが関係者との対談を通じて分かった。。主に3つの理由がある:

食育:最近日本は廃棄食材について、関心が集まっている(例えば、恵方巻の大量生産により、廃棄食物が多く発生したこと、等)。市場の一般見学を通して、食材がどのようにして産地から消費者の手に届くのか、その仕組みを知ることができる。この一連の流れの労力を理解することで食材に対する感謝の気持ちも高まると考えられる。

職育:青果卸売業のプロセスに関心を持っている人にとって、市場はその全体の流れを学べる場所である。多くの人に仕事の内容を発信することにより、専門知識を伝えることができる。市場運営は細部にわたる分業である。例えば、集荷・分荷・価格設定、それぞれにおいて担当者が異なる。十数年以上の経験を持っていることにより、青果を正確に仕分けして適切な値段をつけることができている。見学者は青果の取引の流れを間近で体験することにより、ここで得た情報が将来に繋がり、この業界に入るきっかけとなることも考えられる。

地方教育:市場の開場はその周辺の経済を活性化させることができるが、すべての住民がそう思っていると限らない。築地の再整備から豊洲移転に決定するまで、政府・地方団体や地元住民の間で様々な調整と話し合いが行われた。移転中、地元住民に不便かけたため、市場開業後、市場の運営とメリットを理解してもらえるよう、周囲住民にできるだけ多く市場を開放。また定期的にイベントを行い、多くの人を呼ぶことで、市場は地元住民と共に成長するためのパートナーであることを伝える。これにより、市場と地域の長期的な共生が活性化される。

 

日本青果流通産業の変化

昔から天気に左右されやすい青果物は天候により栽培できる種類も違ってくる。そのうえ、収穫後、新鮮なうちにいち早くお客様の手に届けるのが基本。まだ物流が発達していなかった時代には、生産者は地元の農業団体と連携し、物流支援を整合して効率的に市場へ配送し販売していた。

時代と技術の発達により、青果市場の立場と役割も変わってきた。今回、高知県農業振興部・東京事務所園芸分室の西内さんは私たちの為に、高知県の農業生産者の立場から青果市場の運営の見方を教えてくれた。高知県は四国に位置し、気温、土壌、降雨量などから見て、農業に適した環境である。一年中温室ハウスで栽培している種類豊富の青果も国内トップとなっている。高知県で収穫した農産物は通常三日以内に東京の豊洲市場に届けられ、出荷準備される。しかしながら、同時に違う産地からも物流の調達を求められているので、競争力が高くなる。それにより、生産者も自分たちの製品に対して、様々な販売方法に挑戦している。高知県の農産物は多種多様で豊富なため、自治体は東京で直営物産店をオープンすることを決定。さらに、自然環境に害を与えない栽培方法を提唱することでお客様への認識度も高くなった。西内さんもこの為に高知県から東京へ派遣され、流通マーケティングを担当している。

 

 

一方、地元食材を地元で消費するのも一つのトレンドだ。今回ヘルシーな野菜や果物の料理を用意してくれた、長野県松本市からきた料理の達人・金子健一さんは地元で経営している食堂では地元農家と協力して旬の食材を手に入れ、料理人の腕で食材の魅力を最大限に引き出す。金子健一さんも料理研究家として、地元の生産者と連携し、新たな食材処理や業務で必要な製品を研究し、高い生産性を生み出している。

 


 

生産者・市場・使用者の青果の使用方法の変化により、食品の流通も変わってくる。生産者は自分たちの製品をブランド化し、パワーアップし始めている。市場は単なる製品の流通だけではなくなり、運営方法をどう改善するかを考え始めた。例えば、大量な食材を仕入れるスーパーマーケットの導入を検討するか、外国生産者の製品を増やすか、販売方法の調整、等。同時に、自らメディアへ発信する影響力が高まるにつれ、生産者も食品の直売や販売の機会を生み出し始めている。

このような貴重な機会を頂き、”高知飲食文化自由研究”を通して青果流通業界で働いている人たちと対談ができ、また、日本青果市場/産業の変化を理解することができた。

この経験を台湾の関連産業へ少しでも伝えられることを願っている。