【キズキ代表 安田さんインタビュー】 何度でもやり直せる社会を作る

日本は他の国と比べて集団意識が強く、一度レールから外れると復帰するのが難しい社会だと言われています。そんな中、ご自身の経験を活かして、一度社会からドロップアウトしてしまった方に対して、大学進学をサポートする「キズキ共育塾」や、再就職を支援する「キズキビジネスカレッジ」を立ち上げた方がいます。

今回(2019年11月14日(木))は、その「キズキグループ」の創設者・代表である安田 祐輔さんに、事業理念と今後の展望について伺いました。

 

幼少期の体験~不条理な環境で苦しみながらも、大学受験を決意~

 

まず、ご自身の幼少期についてお話しいただけますか?

小学生の頃、父親は家庭内で暴力を振るう人で、外に子供を作って家に帰って来なくなり、母親も外で恋人を作って戻って来なくなる、という複雑な家庭で育ちました。

また、自分自身でいうと、軽度な発達障害があったため、学校でいじめられることもありました。例えば、発達障害の特性ですが、運動が圧倒的に不得意だったので、いじめられやすかったです。また、物事に集中しすぎると、周りの音が聞こえなくなってしまい、そのことでも標的にされていました。

自分の特性や家庭環境で悩む中、12歳の時に家を出て、寮制度の学校に入学しましたが、そこでもいじめられて、学校を辞めました。その後、祖父母に預けられたり、父親の再婚相手と同居したりと、住居を転々とするうちに、中学・高校にも次第に行かなくなり、夜は外でたむろするようになりました。ただ、バイク乗りがうまくないなど、やはり発達障害の特性が原因で、不良のグループにも馴染めなかったです。

日本では2005年に「発達障害者支援法」が成立し、今では3歳くらいから病院で受診したり、行政や教育現場でも支援を受けられる環境になっていますが、25年前は今と比べて支援の制度も整っていなかったです。そのような環境の中、自分の発達特性や、複雑な家庭環境で悩み、どこにいても馴居場所が見つからない、孤独感を感じてしまう幼少期・10代でした。

そんな中、なぜ大学受験を受けようと思ったのですか?

大学に行こうと思ったのは、主に二つの理由があります。

まず、僕は高校からお金が無くて、色々アルバイトをしていたのですが、発達特性で手先が不器用だったのでよく怒られ、どれも長く続かなかったです。周りの不良たちを見ると、バイトが上手くて、力仕事も向いていたり、リーダーシップがあったりするので、学校に行かずに仕事をしても、うまく活躍できそうだなと思いました。一方、僕はバイトもうまくいかず、力仕事もできないので、まだ大学に行く方が自分に向いていると思いました。小学生の頃は勉強ができた、というのも理由です。

もう一つは、当時、イラク戦争・中東紛争が報道されているのを見て、自分のやりたいことが見つかったからです。もともと、目的がないのに大学に行くのに違和感を覚えていたので、自分のやりたいことをずっと探していました。中東の国際紛争をニュースで見ると、海外では自分よりもつらい人がたくさんいることを知りましたが、自分自身も不条理な環境でずっと生きてきたので、同じような人々には子どもの頃から共感していました。なので、大学に入って、中東の問題などについてもっと研究したいと思いました。

起業への道のり~「キズキ共育塾」と「キズキビジネスカレッジ」事業~

 

大学受験ではICUに入学し、卒業して就職も経験されたと思いますが、その後キズキを立ち上げようと思ったきっかけはありますか?

最初に「キズキ共育塾」という事業を立ち上げましたが、不登校や中退、ひきこもりの子どもに対して、大学受験をサポートすることがミッションです。

起業のきっかけとして、会社員に向かなかったのが一つです。発達障害の特性もあり、日本の大企業に一度就職したところ、環境に合わずうつになってしまい、会社を辞めました。当時はリーマンショックで転職先も簡単に見つからず、会社で働くことに対して不安もあったので、起業の道を選びました。

二つ目は、起業するなら、心が苦しい方向けに何か提供したいと思ったからです。大学時代に、国際問題を知るためにバングラデシュに行ったりしましたが、バングラデシュの人たちは、全員貧しい暮らしをして、同じ条件に置かれていたので、自分は特段不幸だという意識を持っていません。その時、自分のことを不幸だと思わない途上国の人々を助けるよりも、より身近な日本で、心が苦しめられている人を助けた方が、より社会的に有意義な仕事ではないか、という思いが芽生えました。

三つ目のきっかけは、自分が10代の頃の悩みを解決できる事業をしたいと思ったからです。大学を受けようと思った頃、予備校に行っても周りについていけず、苦しんだ経験がありました。日本の文部科学省の調査によると、不登校の生徒は年間19万人いて、毎年増えています。そこで、一度学校を辞めたけど、大学に行きたい子のために、勉強を教える塾を開こうと決めました。

2011年当時は、今ほど起業があたりまえではないので、まずは自分の経験と強みを活かした事業を始めたいと考えていました。今振り返ると、自分の10代の苦しい経験を意味のあるものにしたいという強い思いがあったからこそ、起業の道でつらいこともたくさんありましたが、諦めずに続けられてきました。

キズキ塾を立ち上げた後、新しい事業として「ビジネスカレッジ」にも取り組んでいると伺いました。立ち上げようと思ったきっかけ、主な事業内容を教えていただけますか?

「ビジネスカレッジ」は、うつや発達障害などが原因で離職した方に向けて、ファイナンスやマーケティングなどのビジネススキルを習得する場を提供しています。また、自分の強みを伸ばし、障害があっても活躍できる仕事を探すサポートをしています。

キズキ塾で「学ぶ支援」ができるようになったが、「働く支援」にも繋げていくべきだと思い、新しい事業をスタートさせました。日本では、うつや発達障害などで働けなくなる人が多いので、このような悩みを抱える人たちのサポートをしたいと思いました。

また、キズキ塾で教え、無事大学に進学させても、発達障害などでコミュニケーションが苦手な子も多く、就職活動や卒業後の進路が心配でした。このような子たちに、進学後の就職までサポートしたいと思ったのもきっかけです。

さらに、自分自身の原体験が一番大きな理由です。僕自身も大企業に就職してから、発達障害で会社にうまく馴染めず、うつになって4カ月で退職しました。僕に限らず、日本では働いている人の4人に1人がメンタルヘルスの不調を経験したことがあり、その中退職に至った人は13.3%います(労働政策研究・研修機構による調査、2014年)。なので、自分の経験を活かし、同じ悩みを抱える人々に対して、サポートできる事業を開始させようと思ったのです。

ビジネスカレッジの強みとしては、ファイナンスなどの専門スキルを学ぶ機会を提供していることが挙げられます。今までも、医療や福祉機関では就職を支援するサービスがありましたが、新聞の要約や紙飛行機を作るなど、どちらかというと障害が重い方向けのメニューになっています。大学を出て一度大企業で勤務した人には、あまり向いていない内容だったので、キズキではより高度で専門性の高い知識を教えるメニューを用意しました。例えば、WEBマーケティングや会計、心理的な自己理解などのカリキュラムは人気があります。さらに、発達障害の方はプログラムやITに強い人もいるので、IT系の講座など、新しい講座の提供も検討しています。

また、発達障害の方向けの就職支援も行っています。日本では「障害者雇用促進法」で、会社の規模に応じて何名障害者を雇用しないといけないなど、法律で定められていますが、事務や単純作業の仕事が多いです。発達障害の場合、東大や京大など学歴が高い方も多く、コミュニケーションやマルチタスクなどが不得意な方もいるので、単純作業だと彼らの能力を活かしきれないのです。そこで、ビジネスカレッジでは、自分の向き・不向きを理解し、障害がある方でも、自分がやりたい仕事、本当に活躍できる場を一緒に探していきます。例えば、英語が得意な人はクラウドワークスベースで翻訳家になる、会社員が向かなかったらフリーランスのプログラマーになる、などの道を提案しています。僕自身も、会社員ではなく、起業家の方が上手くいったので、この経験をもっと多くの人に伝えていきたいです。

障害者の就職をサポートさせる際に感じる課題はありますか?

一番の課題は日系企業の人事制度です。日系企業はジョブローテーションが前提で、営業や経理など各部署に異動することが多く、障害者にとっては不安定な環境で働きづらいです。また、外資系と比較すると、明確なJob Descriptionがないので、応募する時も仕事内容が具体的に見えず、自分に合っているかが判断しにくいです。

二番目の課題は、医療・福祉業界の人たちは、ビジネスのキャリアを深く知らないことも多いので、適切な仕事をアドバイスできないことがありますたとえば、「コミュニケーションは苦手だけど、文章を書くのが好きな人」であれば、「WEBライターも目指せるよ」といったアドバイスができないです。

今後の展望~日本を起点にグローバルへ展開する~

 

今後の事業の方向性・目標をお聞かせいただけますか。

事業規模をもっと拡大させ、インパクトを出していきたいと思います。また、ゆくゆくは海外にも展開できればと思っています。

キズキは生きづらさを感じる方向けに、「何度でもやり直せる社会をつくる」ことがビジョンとなっていますが、日本に限らず、海外でも同じ悩みを持つ人は多いです。ただ特に福祉などの業界では、日本と世界を別物として捉える人が多いので、もっと海外に目を向けてもらい、グローバル規模での社会問題を解決していきたいです。

キズキがグローバル展開する際、以下二つの強みを発揮できるのではないかと思います。

1 WEBマーケティングの知見:キズキのサービスを利用する方の大半は、WEBを介してキズキを訪ねて来ます。SEO(検索エンジン最適化)やコンテンツ強化を通して、集客を強化・改善してきましたので、この知識を海外でも活かせます。

2 組織設計の知見:2019年時点で、キズキは日本国内に15箇所(塾、ビジネスカレッジ、行政拠点など含む)で事業を展開しています。各地に拠点がありますが、人事制度、採用の仕組みをすべて標準化できているので、組織設計も強みになっています。

具体的な方向性として、まだ色々計画していますが、大きく二つを考えています。

● メンタルヘルスのテック化の促進

例えば、メンタルに関わる相談サービスを、簡単にアプリで検索・評価できる仕組み、またはメンタルに関わる心身状態(睡眠時間など)を計測できるアプリを作るなど、テクノロジーを活用して新サービスを作りたいです。最近はシリコンバレーでメンタルヘルス系のスタートアップが多いと聞いているので、海外の事例も踏まえつつ、グローバルに展開していきたいです。

● 東アジアを皮切りに海外進出

東アジアは地理的、文化的に日本と親和性が高いので、日本で蓄積した知見を台湾、韓国にも展開していきたいです。弊社は、日本ではひきこもり・不登校支援の会社としてフォーカスされがちですが、今はキズキビジネスカレッジのように発達障害、うつ病の方の就職支援なども行っており、広く「メンタルヘルス」の悩みを解決できる会社になることを目標にしています。台湾にも「メンタルヘルスの会社」として拠点を作っていきたいですね。

台湾では、15歳以上の障害者のうち、2割しか就業していないと聞いています。(台湾労動部統計、2016年)また、日本ほど終身雇用は浸透しておらず、比較的自由度の高い社会であるイメージもありますが、残業時間が長い、裁量責任制で仕事が大変、という問題も多いので、やはりメンタルヘルスサポートの需要はありそうです。まずは東アジア独自の課題に対応できるサービスを作り、台湾でも同じ理念を持つ方がいれば、ぜひ一緒に社会課題を解決していけたら嬉しいです。

 


 

社会からのドロップアウト、メンタルヘルスの悩みは、決して日本特有の問題ではありません。台湾でも学校や仕事に行けず、一人悩む人も多いです。台湾でもキズキの支援サービスを提供できる日がいち早く来ることを願っています。

 

中国語版:Kizuki創辦人安田先生:創造一個可以讓任何人重獲新生的社會是我們的使命