起業しながら優雅な生活を送っている、チューリップのようなLaaLaa


紫陽花が咲き始め、夏の日差しが感じられるようになった6月、Laalaaさんが創設したオンラインサービス Serendious も正式に運営し始めた、百花斉放のような事業になると確信した。同時にその事業を立ち上げるまでの彼女の人生や仕事などきっと様々な苦労があったと思った。それをどうやって克服して、ここまできただろうと考え始めた。...

Worklife in Japan – 海外でのキャリアをみえる選択肢になる

物語が好きな人がたくさんいる、特にひとりで違う国で仕事し、生活しているひとが、同じところから来た、地元の人が語っている自分と似ているような経験などを聞くとすくなくても心のどこが慰めました。このような人物記事が広まり、すばやく各日台のネットに拡散されました。...

日本地方創生代表的な街づくり 千葉佐倉ユーカリが丘

日本千葉県佐倉市にある50年に近い計画した街づくり-ユーカリが丘。山万株式会社という不動産企業が開発管理しています。 東京都心まで約38Kmの場所に位置しており、東京まで電車で約47分。1971年から、田んぼ、森から開発して、総開発面積は約245ha、現時点で人口約18,000人(7,200戸)、開発目標は8,400戸。 毎年限定200戸を販売するのは方針があって、それには理由があります。...

日本で台湾料理を教える!イベントの申し子Hamu

日本に来る目的というのは人それぞれのようだ。私たちはこれまで、外国人が日本にやって来るのは日本で働いてキャリアを積みたいからだとか、より良い生活を送りたいからなどといった理由ばかりだと思っていた。ところが、最近はこれらとは異なる回答がインタビューのたびに得られるようになった。「もっと涼しい場所で暮らしたいから」という人もいれば、「自分への誕生日プレゼントとして」日本に来たという人もいた。 今回インタビューに応えてくれたHamuさんは、当初ワーキングホリデーのために日本を訪れ、最終的には「イベント開催」のために日本に残る道を選択した。現在彼女は「Talking×Talking 日本語×台湾華語」と「Cooking Taiwan 食いしん坊・愛吃鬼の料理教室」という2つの日台交流イベントを主催しており、毎週様々なイベントを開いている。 平日は日本企業に勤めているHamuさんだが、週末の「イベント開催」こそ、彼女の「本業」といえるかもしれない。 Hamuさんは来日以前は何をしていたのですか?なぜ日本へ? 幼い頃から日本に興味をもっていました。漫画の影響が大きいですね。漫画を読むのが好きなので。 中学生の頃、家の近くの漫画店をよく手伝っていました。毎日大好きな漫画に囲まれているのが楽しくて。その後は専門学校の外国語学科に入り、日本語を専攻しました。専門学校を卒業してからは事務職員として働きましたが、人と接するのが好きな私にオフィスワークは合わないと感じ、友人の紹介で、とあるカフェの店長を務めることになりました。 日本に来たのはカフェを辞めた後のことです。当時カフェに2年間勤めたものの、なかなか昇格が得られず、何か新しいことを始めるべきではないかと考えていました。そんな時、ちょうど友人たちから「日本でワーキングホリデーをしないか」という誘いがかかったんです。一緒に行く人がいればそれほど大きな心配もありませんから、そこですぐ日本に来ることを決めました。 始めはワーホリで日本に来ましたが、1年経ってワーホリビザの有効期限が切れる頃、日本語の能力に不足を感じた私は、日本語能力検定試験1級を受けるため(日本に来る前は2級でした)、留学ビザに切り替えました。その後日本でさらに半年間勉強を続け、1級に合格しました。それから日本に残って引き続きイベントを開催するため、急いで仕事を探し、就労ビザに切り替えました。 留学ビザの期限が切れる直前、実は少しの間台湾に帰っていたんです。でも、台湾でやりたいと思えることがなく、また家族も私が日本で色々な活動をしている姿を見て、どちらかといえば台湾より日本での活躍を見込んでいたため、私は再び日本に戻ることを決意しました。   どうやって日本で仕事を見つけたのですか? 仕事はFacebookで見つけました。始めは人材会社を介して探していましたが、就労ビザのこともあり、あまり積極的に仕事を紹介してくれませんでした。そこで、イベントを開催する関係で知り合ったある日本人が、外国人のために仕事を紹介するという活動をしていて、彼にも手伝ってもらいましたが、自分でも会社の人事に直接連絡するという形で就職活動に励みました。 なぜなら、私は人材会社やサイトに頼らなくても、これが一番手っ取り早く企業と直接連絡が取れる方法だと思ったからです。自己アピールさえちゃんとできれば、きっと企業側がチャンスをくれると信じていました。最終的にFacebookで今の仕事を見つけました。去年の3月から今の会社で働いています。   どうして日本でイベントを開きたいと思ったのですか? 当時友人を含め4人でワーホリに来たのですが、バイト以外ではずっと台湾人と一緒にいました。新しい友達を作りたい、もっとたくさん日本語を練習したい。でも、どうしたらいいか分からない。 そこで、友人に台湾が好きな日本人を紹介してもらいました。その人は私を東京のとある国際交流会に連れて行ってくれました。台湾には見ず知らずの人と交流するイベントはほとんどありません。ところが、日本ではこうしたイベントがとても普及しているんです。 日本人と話をしているうちに、自分の日本語が思ったより上手くないということに気がつき、言い間違えるのが怖くて口を開く勇気が少しずつなくなってしまいました。でも、イベントで知り合った日本人はみんな友好的で、辛抱強く私の話を聞いて、正しい言い方を教えてくれたので、それがとても励みになりました。 そこで私は、台湾人と友達になりたい日本人と、日本人と友達になりたい台湾人が一緒に集まれる場所を作りたい、また台湾のことをより多くの日本人や外国人に知ってもらいたい、と思い始めました(当時知り合った日本人の中には、台湾とタイを同じ国だと勘違いしている人もいれば、台湾を中国の一部だと思っている人もいました)。   どうすればいいイベントが開催できるのでしょうか? 私の考えでは、イベントを企画する基本は、参加者が参加したいと思えるかどうか、イベントを通して何か得られるものや学べるものがあるかどうか、だと思います。 Talking×Talking:主な目的は、みんなに友達を作ってもらうこと。日本人との会話を通して生活上の語彙を学んだり、発音を真似たりすることです。多くの人は、始めは教科書で学んだ日本語しか話すことができません。日常会話ができなかったり(私もそうでした)、文法は正しいのに発音が少し変だったりします(もちろん、中国語を学びたい日本人にとっても同じことが言えます)。 料理教室だったら、料理を教えるということのほか、食材がもつ効能や、台湾の祭日で食べられる料理を参加者に知ってもらうことが目的です。例えば、台湾では妊娠中の女性が麻油雞麵線(台湾鶏肉そうめん)を食べると体に良いといわれます。ですが、日本にはそうした料理も習慣もありません。麻油雞麵線の作り方を教えた回で、参加者の日本人女性が私のところへ来て、「もし早くこの料理を知っていれば、もっと栄養をつけることができたのに」と話してくれました。 イベント開催前と開催後、参加者一人ひとりと連絡をとり、こちらが関心を示していることを相手に知ってもらうようにしています。開催前に参加者全員に出欠確認をとり、開催後には感謝の気持ちを伝えるのと同時にイベントの感想や要望を聞き、次回以降のイベントに生かしています。 最も大切なことは、そのイベントが自分自身も参加したくなるような、また満足できるような内容・進行かどうかです。自分でさえ満足できないなら、参加者に満足してもらうことは到底できません。 お仕事のことを伺ってもいいですか? 私が勤めている会社はレディースシューズの貿易会社(OEM)です。私たちの会社では、ブランド会社から靴の生産依頼を受けて、そのデザインリストを下請け工場に送って生産を委託します。工場の多くは中国と台湾にあるため、中国語のできる社員が必要なんです。私は当初会計事務を担当していましたが、そのうち会社と中国・台湾の生産チームとのコミュニケーションを補助したり、部分的に翻訳を任されたりするようになりました。 経営専攻でもなければ日本語もそれほど上手くない私ですが、それでも社長は私を採用してくれました。その理由は、「明るい性格を生かして会社のムードメーカーになってほしいから」だそうです。日本企業は社員採用時、候補者の個性と特質をとくに重視しているみたいですね。 仕事をしながらイベントを開くのは疲れませんか? おせっかいな性格からか、私は人を手伝うのがとても好きで、イベントを開くことで自分の日本での生活がより充実したものになっています。台湾人なので、こうしたイベントを通して多くの人に台湾の良さを知ってもらうのが楽しいんです。イベントを開くために日本にいると言ってもいいでしょう。だから、「疲れる、疲れない」なんてことは関係ないんです。台湾に帰ることもありますが、私のイベントに参加したいという人がいれば、今後もイベントの開催を続けます。 今後の計画は? 大好きな家族がみんな台湾にいるので、いずれはやはり台湾へ帰ります。みんなから日本にいてほしいと言われるけど、ずっと日本に留まる決意はまだできません。でも現状では自分が今やっていること(イベント開催)が好きだし、日本のほかの地域でも一緒に協力してくれる人を探して、東京だけでなく大阪や北海道などでもイベントを開いて、日本各地の台湾人に日本人と交流してもらえたらいいと思います。台湾に戻っても、台湾で交流イベントを開いたり、交流民宿を開業したりしたいと考えています。 日本に来たいと考えている人に何かアドバイスはありますか? 私はワーキングホリデー、留学、就労の三つの段階を経験しました。ワーホリに来たい人は、1年間しかないので、その期間で一体自分は何を得たいのかを明確にしておきましょう。ワーホリ期間中、私は平日バイトをして、週末には一人で日本各地を旅行しました。束縛のない環境にゆったりと身を置いて、日本と台湾の違いを見るためです。 住む場所はシェアハウスをおすすめします。一般的にシェアハウスに住むのは外国人だけだと思われていますが、実はむしろ日本人、とくに地方から上京してきた人が一番多いんです。私の日本語はルームメイトの日本人のおかげで上達しました。というのも、みんな中国語ができないので、私が日本語を話すしかないからです。なので、空っぽの部屋では寂しい、家族といるような感覚がほしいと思う人は、シェアハウスがいいですよ。 もちろん、多くの人がワーホリビザや留学ビザから就労ビザに切り替えたいと思うでしょう。でも、もし日本に留まって仕事をしたいなら、日本のサラリーマンになる準備が必要だと思います。日本では就活にあたって、マナーや手順に注意しなければなりません。とくに留学生は、半年から1年の就活期間を覚悟しておく必要があります。この点が台湾での就活との違いです。 最も大切なことは、日本語の能力のほかにもうひとつ、「笑顔」!日本のどの求人広告を見ても、採用条件に「明るく元気な人」と書かれています。本当ですよ!日本は外見を重視する国です。といっても、もちろん見た目の美しさということではなく、その人の快活さのことです。メイクもマナーのひとつ。女性だけでなく男性も美容品を使います(私たちのシェアハウスの若い男の子もフェイスパックを使っています)し、日本人は男女ともに目もとのクマを他人に見せません。 それから一番重要なのが、心の準備。失敗や間違いを恐れてはいけません。イベント参加者の中にはあまり話そうとしない人もいて、理由を聞いてみると、多くの場合「日本語を間違えるのが怖い」という答えが返ってきます。でもそれだと、友達や交流の機会を失ってしまいます。せっかく勇気を振り絞って日本へやって来たのに、本当にもったいないです。 私の日本語も最初はひどいものでした。でも日本人の友達と話をする時、日本語ができなくても、字を書いたり例えを用いたりして、いくらでも質問や表現をすることができます。だから日本に来て人との接触を怖がったり、イベントへの参加をためらったりしないでください!参加したらできるだけ話をしましょう。話すことではじめて自分の日本語の弱点が分かります。「話す」ことこそ、最も身に付けるのが難しいスキルだからです。 普段はどんなことでリラックスしていますか?日本で一番好きな場所は? 普段は退勤後ヨガ教室でヨガを練習します。台湾にいる時からヨガをしていて、ヨガをすることで忙しい一日の心身をリラックスさせることができます。休日はよく旅行に行きます。とくに自然豊かな場所や歴史溢れる場所に行って、日本の美しさをじっくり眺めるのが好きです。長旅に出る時間のない時は、公園へ行って散歩したり、日光浴をしたり、ピクニックしたり、読書したりなどします。 日本で一番好きな場所は、新潟です。日本人の友人の中に、実家が新潟で有機栽培農家を営んでいるという人がいて、以前その人の実家を訪ねた時に、稲の収穫などを手伝わせてもらいました。たくさん学んで、たくさん食べました(天然ものは違います)。   日本に来たら、Hamuさんのイベントに参加しましょう! ◆Talking x Talking 日本語x台湾華語 https://www.facebook.com/talkingxtalking 「Talking×Talking 日本語×台湾華語」は、日本人と台湾人限定の言語交流会です。参加者の中には、相手を見つけて質問したり、発音矯正を手伝ってもらったりしたい、と思う人もいます。でも、友達との会話中はなかなか質問しにくいものです(私自身もそう)。そこで、イベントの前半に自由交流タイムを、後半に勉強タイムを設けて、毎回日本人教師と台湾人教師にみんなの質問に答えてもらっています。以前、日本人の友人を呼んで台湾人向けに就活講座を開いてもらったこともあります。   ◆食いしん坊・愛吃鬼の料理教室 https://www.facebook.com/cookingtaiwan どうやって日本で台湾料理を作るかをみなさんに教えます。私はふるさとの味が恋しくなった時、台湾料理店に行くほか、自分でも作ります。参加者の多くが私に「どこで料理を習ったの?」と尋ねますが、実は台湾では買う方が便利なので、もともと料理を作ったことはないんです。日本では買えない、でも食べたい。だから自分で作るしかありません(食欲はすべてに勝ります)。成功したらそれをみんなと共有したいし、ついでに台湾グルメの宣伝にもなります。前は春節の時に「發糕(中華蒸しパン)」と水餃子を教えました。みんなでおしゃべりしながら自分で作った料理を食べて、とても良い雰囲気でした。...

チャンスは最後まであきらめなかった者にのみ与えられる:吉本興業番組制作のMAYU

日本のお笑いが好きな人で、吉本興業を知らない者はいない。台湾人のMayuは10年前に吉本興業所属のお笑い芸人ロンドンブーツ1号2号の田村淳を知った。その時、何が何でも将来吉本興業で働くんだと心に決めたのだ。そしてその10年後の今、私たちは吉本興業東京本社でMayuのストーリーを聞いている…いったい台湾人である彼女はどのような道を歩んできたのだろう。 ロンブーファンの進撃 私が日本を好きになったきっかけは、中学校の時に日本のバラエティー番組を見てからです。高校生になり、初めて「ロンドンハーツ」という番組を見て、ロンドンブーツの田村淳を知り、私はすぐに彼のファンになりました。アイディアが豊富で、頭も良くて、新しいことにどんどんチャレンジする。それから、自分の信念を持ちながらも、周りにも気遣いができて…。そんな淳さんは他の芸人とは違うんだと私は感じました。ちょうどその頃、淳さんは後輩芸人たちとjealkbというバンドを結成し、ライブで台湾に来たことがありました。淳さんの大ファンである私はもちろん、足を運びました。もっと他の人にもこのバンドを知ってほしかったけれど、当時jealkbのことはあまり宣伝されておらず、もどかしく思った私は、台湾のレコード会社に宣伝をするよう直接電話をしてしまったほどです。それをきっかけに、自分が単なるファンとしてではなく、それ以外に淳さんのために何かできないかと考え始めるようになりました。淳さんも、jealkbも吉本興業の所属で、吉本興業が日本で最大のお笑い芸人事務所であること、jealkbの淳さん以外のメンバーはみんなバイト生活をしていることを知りました。そして、当時の私にはあまりにも身の程知らずの目標を立てたのです。日本へ行って吉本興業で働こうと。淳さんのためだけでなく、夢のために頑張っているお笑い芸人たちのために、力をささげたいと思ったのです。   そのときの私は、日本語能力も特になく、日本の芸能界に対する知識もあまりありませんでした。家族や友人は、私はただの熱狂的なファンで、きっとすぐに諦めるだろうと思っていました。ところが、わたしはこの目標に向かって本気で人生プランを立てていました。大学は日本語学科を専攻し、日本へ行く資金を貯めるために、アルバイトも始めました。それと同時に、毎年日本へ行って、淳さんの収録やイベントにも参加していました。これは自分の趣味とストレス解消のためですが…。淳さんはファンにとてもよくしてくれます。私のことを覚えてくれていて、いつも頑張るように励ましてくれました。卒業してから、私は台湾の日系企業に就職しましたが、日本へ行くための準備は続けていました。何年かして、会社でちょうど日本へ派遣する社員を募集することになったんです。私は迷わず立候補しました。面接のときも、正直に当時の上司に「私は吉本興業に入るために日本へ行きたいんです!お金がたまったら、すぐ辞めます」と伝えました。部屋を追い出されるかと思いきや、結果は意外にも、私が日本へ派遣されることに決まったのです。一年後、お金がたまったので、本当にその会社を辞めて吉本興業に入るための準備を始めました。前の会社には本当に感謝しています。当時の仲間は、今でも、私のことを応援してくれているし、私の夢を追う過程に参加できたことを光栄に思うとまで言ってくれています。   吉本興業はお笑いタレントのマネジメント以外にも、様々な事業をやっています。芸能界に関わる端から端までの仕事に関わっていると言ってもいいでしょう。テレビ、映画、ネット、商品に関わる企画や製作、それからお笑い芸人の劇場の経営もしています。芸人や業界人を育成する学校まであります。私は前の仕事を辞めてから、アルバイトしながら吉本興業が経営するYCC (Yoshimoto Creative College)に通い始めました。そこでは、芸能界に関する知識やテクニックを学び、一年後に吉本の入社試験を受けました。面接前に、淳さんから夢へ向かって迷わず前へ進め!という励ましの手紙を頂いたことを今でも覚えています。全身全霊で頑張りましたが、結果は一次面接で落ちてしまいました。その知らせをもらった夜は自分の未来を見失ってしまい、いくら泣いたかも覚えていません。   そして、台湾に帰る3日前のことでした。今でもはっきり覚えています。気持ちも、荷物もすっかり整理がついたわたしは台湾に帰って別の道を探そうと考えていました。その日はバイト仲間が送別会を開いてくれる予定でした。その日の午後、電話が鳴ったのです。吉本の人事の方からでした。今から二時間後にもう一度面接ができないかと聞かれ、私はもちろんすぐに「はい」と返事をしていました。全く面接にふさわしくない服装でオフィスの会議室に駆けつけたのですが、面接官は何と吉本興業の社長と取締役だったのです。それでも私は、台湾人なまりの日本語で、二人を相手に堂々と自分の夢と吉本に対する情熱を語りました。面接の後、社長は私の勇気を讃えてくださり、吉本に対する愛を感じたと言ってくださいました。そして、その場で合格のお返事をいただいたのです。私はこんなにもドラマチックに夢への第一歩を手にしたのです。涙を流しながら、社長と会長にお礼を言いました。その晩行われるはずだった送別会は、就職祝賀会となり、みんなを驚かせてしまいました。その日の晩、みんな、涙が止まらなかったのを覚えています。そして、それは決して別れの涙ではなく、うれし涙でした。   よしもと制作のいろいろ 吉本に入社してから、私は映像制作セクションで番組制作、企画と進行の調整などを担当しています。時には撮影クルーとタレントさんのロケをセッティングしなければならず、同時進行で進めなければならないことがたくさんあって、とてもやりがいがある仕事だと感じています。日本の芸能界は上下関係はもちろん、暗黙のルールもたくさん存在する職場です。さらに、芸術家肌の方と一緒に仕事をするので、時間も不規則だし、勤務時間も長いです。たったひとつ、何かがうまくいかないだけで、歯車が狂い、現場の雰囲気に影響が出ます。番組制作という役割が外国人である私にとって有利なことは一つもなく、入社してすぐの頃は、現場のペースについていけず、先輩に怒られることもしょっちゅうでした。怒られたことで落ち込み、言葉も出ず、毎日夜中に家に帰ってはすぐに寝るという生活の繰り返しでした。それでも、同期や先輩たちに励まされ、いろいろなことがあるけれど、それもだれもが経験する試練なんだと考えるようになりました。そして淳さんのために頑張るんだという初心を思い出しました。身も心も疲れたとき、自分が作った番組をみると、ちょっと達成感が出て、もう少し頑張ってみようという気持ちになれました。   最近、吉本興業は海外事業に力を入れています。台湾と日本は文化的に近いところがあるので、台湾の芸能界との提携も多くなってきました。台湾人の私ももちろん、台湾関連の仕事を担当するようになりました。例えば、今年の3月オープンした沖縄おもろおばけ屋敷は、台湾観光客をターゲットにした那覇市の新しい施設です。そのこともあり、私が台湾のテレビの撮影クルーと同行することになり、その時には自分が実際に体験した映像で宣伝することもありました!(笑)また、半年前から「住みますアジア」というプロジェクトも始まりました。日本のお笑い芸人をいくつかの国に送り出し、現地に暮らしながら日本のお笑い文化を知ってもらうというのが目的です。台湾に派遣されることになったのは「漫才ボンボン」というコンビ。私は彼らを担当することになりました。芸人という仕事は魅力的に思えますが、実際1000組芸人がいたら、本当に芸人の仕事だけで生活できる芸人は1組いないかもしれません。彼らが異国で夢のために頑張る姿を見ると、自分のことと重なり、思わず応援したくなりました。吉本興業は、正直働くには本当に大変なところだと思います。それでも、自分の夢に向かって頑張る人がこんなにたくさん集まるのは吉本ならなのではないかと思っています。   台湾人や日本人と一緒に仕事をする経験を積んでいく中で、それぞれの違いも分かってきました。日本人は、事前計画がとても細かいです。事前にスケジュールをきっちり組んで、当日はその通りに行います。ただ、現場で何かトラブルが一つでも起きると、なかなかすぐに対応できません。一方、台湾人はすごく自由。事前計画もなく、現場での臨機応変がとても大事です。一番印象に残っているのは、台湾撮影クルーと日本でロケをする予定でしたが、ロケ地に着いたとたん、なぜかロケを急遽中止。それも、当時台湾で大人気だったブラックサンダ―を買いに行くためという…。スタジオでの撮影も全然違います。日本ではタレント中心で現場が回っていきます。何が何でもタレントさんのケアが最優先です。逆に、台湾ではすべてプロデューサーの方がリードしていきます。なので慣れるとすぐ、誰をよいしょすればいいのかわかるようになりました(笑)   これだけの違いがあると、日台の撮影チームが一緒に仕事をするとき、どれだけのカルチャーショックがあるか、想像に容易いでしょう。順調に仕事を進めるため、真ん中の立場にいる私は通訳以上に双方の緩和剤として調節役に回る必要がありました。結局はいつも板挟み状態でしたが、私にはぴったりの役割だと思うようになりました。もし一緒に仕事をすることを通じて、日本と台湾がお互いの仕事文化を尊重できるようになれば、それはそれでうれしいです。   夢の続き 今年の11月(2015年)、jealkbは台湾でライブを開催することになりました。会社でアピールし続けた結果、私が淳さんのファンであることが認知され、今回のライブもスタッフとしてかかわれることになりました。淳さんのことを知ったのが10年前、私は今回の仕事でその当時の夢を叶えたとも言えるでしょう。でも、ここにたどり着くまでの過程を美化することはできません。私はこの夢をかなえるために、多くのことを犠牲にしてきました。この業界では強いメンタルと柔軟性が必要で、外国人である私は、人の数倍の努力が必要です。去年、私は体を壊し、休養のため、一年近く休みを取りました。それに、結婚を考えていた彼氏とも別れてしまいました。なんで私はここまでいろんなものを犠牲にしなければならないんだろうと、考えてしまうこともよくありました(淳さんも結婚したし・・・)。でも、それは、今まで力になってくれた友達や、私のことを理解し、誇りに思ってくれた家族の気持ちに応えるためだったからだと思います。それと、私がここまで払ってきた代償のためかな!本当に大変だったけど、その分達成感も大きいです。そして、私にはさらに大きな目標があります。それは日本のお笑い文化を台湾の人々にもっと知ってもらうことです。この夢がある限り、これからも日本で頑張り続けます! ※この記事は2015年10月のインタビューを元にして書かれた記事です。    ...

日本「住みますアジア」海外プロジェクト-台湾での7年の旅が始まった「漫才ボンボン」 (漫才少爺)

日本で働く台湾人にインタビューする過程で、偶然台湾で奮闘する日本人のお笑いコンビと知り合う機会を得た。リアクション芸やコントであれば、外国人にも伝わりやすいかもしれないが、彼らは漫才という「喋り」だけで勝負するお笑い芸に、あえて海外で挑戦している。彼らはどうして挑戦の場に台湾を選んだのだろうか。 日本で働く台湾人にインタビューする過程で、偶然台湾で奮闘する日本人のお笑いコンビと知り合う機会を得た。リアクション芸やコントであれば、外国人にも伝わりやすいかもしれないが、彼らは漫才という「喋り」だけで勝負するお笑い芸に、あえて海外で挑戦している。彼らはどうして挑戦の場に台湾を選んだのだろうか。 少し前に台湾のエミー賞にあたる金鐘賞で大物芸人吳宗憲(ウーゾンシエン)が残したコメントが大きな波紋を呼んでいる。台湾の芸能文化が世界に進出する上での問題点を民衆に提起する形となったのだ。では、日本の取り組みに台湾の芸能発展が参考にできることはないだろうか。 多くの人が日本のドラマやアイドル、漫画やアニメを思い浮かべながら、日本の文化は華やかで、海外に進出していくことはそんなに難しくないと思うかもしれない。しかし、実際は海外への進出に頭を悩ませているのが現状だ。 日本政府は日本独自の文化(ファッション、食、アニメ、芸能等)を海外に広めることを目的に2013年「クールジャパン機構」を設立、そして2014年に吉本興業が中心となって運営している企業に投資をし、日本の芸能娯楽文化の国際化に尽力している。 吉本興業は日本で歴史が長く、所属するお笑い芸人が最も多い芸能事務所だ。劇場を経営したり、お笑い芸人の養成所まで運営している。今回の記事では、その吉本興業が推し進めている「住みますアジア」海外プロジェクトとして台湾で生活し活動する「漫才ボンボン」と、海外に日本の娯楽を広げるための問題点やその為に必要なことを話す機会を持つことが出来た。 ◆「漫才ボンボン」と言うコンビについて教えてもらえますか? 僕達は2人とも先輩の紹介で出会い、結成することになりました。コンビ結成6年目です。2人とも元々会話の中から生まれる笑いが好きで、特に漫才は道具を使わずに2人だけで話し、笑いを取ります。そういうスタンスに幼いころに衝撃と感動を覚え、私たちは自分たちの芸人人生のスタート地点として「漫才」をやることに決めました。 (台湾にはいわゆる「漫才」がなく、最も近いのが「相聲(シャンシェン)」と呼ばれるものである。漫才はボケとツッコミに分かれているのが特徴であり、シャンシェンよりネタの時間も短い。) 「漫才ボンボン」のひとり、三木は大阪出身である。 三木:大阪では漫才が元からすごく流行っていて、小さいころから触れる機会が多く、漫才の番組も多かったため、漫才に対する興味は自然と湧いて来ました。本当にお笑い芸人になろうと決心をしたのは大学四年の時で、その当時親にはかなり反対されました。なぜなら僕はその時大学で21世紀アジア学部と言う学部にいて、漫才とは一切関係の無い世界にいたと言う事と、お笑い芸人として成功するのは元々容易ではないためです。しかしどうしてもお笑い養成所に入りたいという強い気持ちがあり、最後は両親も妥協してくれました。残念なことに、当時養成所に入ろうと僕を誘ってくれた友人が入学直前で突然あきらめてしまったんです。それでも僕はあきらめることなく、ひとりで自分の夢に立ち向かおうと決心しました。 もう一人のメンバー、太田は横浜の出身である。 太田:関東は関西のように漫才文化が根付いていませんでしたが、中学の時に「爆笑オンエアバトル」を観てお笑いという世界に強い衝撃を受けました。テレビで二人の人間がただただ雑談をしている、それだけなのにそれが笑いとなり、多くのお客さんを楽しませることができるんです。その時から自分の中でお笑い芸人になりたいと言う気持ちがあったんですが、本当に芸人になるとはまったく思っていませんでした。19歳の時、周りの友達が仕事を探すのに給料とか休暇とかそういうのをすごく気にしていて、それを見て自分は当時「仕事」として一番大事なのは、表面的な条件ではなくその内容だと思いました。その時、自分は「お笑い」なら一生大事にできる仕事だと思ったのです。父と母も自分の好きな仕事じゃなければ長続きしないという考えだったので、特に反対することもなく、20歳で吉本のNSCに入りました。 ◆“二人の人間が道具を使わずに喋るというだけで、沢山の人を楽しませることができる” これが漫才ボンボンをお笑いの世界に足を踏み入れさせた大きな理由でした。 もしかしたら皆さんは僕達の経歴を見てお笑い芸人になる事はそんなに難しくないと思ったかもしれません。でも、実際お笑い芸人を仕事として稼げている人は極僅かなんです。芸人養成所を出た後、劇場のライブに出てもほとんどお金はもらえないし、もらえたとしても100円にも満たないこともあります。だから生活するにはバイトするしかありません。その結果、ほとんどの人が養成所卒業から一年程度で芸人を辞めて、普通の仕事に就いていきます。 ◆どうして台湾を選んだのか? 日本の娯楽文化は少し前までは台湾でかなり人気がありましたが、韓流が流行りだしてから、日本の娯楽文化は勢いを失っていきました。それが、日本を海外にアピールしていくことの重要さを日本に考えさせることになったのです。このような理由を背景に、去年の年末、吉本興業やSony Entertainment等を含めた7つの企業が共同で会社を設立しました。その目的は日本の娯楽文化を海外に広めること。そして、「住みますアジア」海外プロジェクトこそが、この会社にとって重要なプロジェクトなのです。吉本興業が数組の芸人を選出して、台湾・タイ・インドネシア等のアジア各地へ長期的に芸人を派遣し、日本の娯楽を現地化させて広めることが目的です。 漫才ボンボンが「台湾住みます芸人」に選ばれた理由は、三木さんが大学生の頃に中国語を専攻しており、一年間中国の哈爾濱(ハルピン)に留学していたためである。三木さん自身も中国語で「漫才」をやるというのはなかなか面白い挑戦になると考えた。それに対して、太田さんは全く中国語がわからなかったが、六年間のお笑い人生の中でとくに目立った活躍もなく、台湾に行くことが自分の人生に掛ける最後の賭けになると感じたからだそうだ。 ◆日本MCIP「住みますアジア」海外プロジェクト、台湾での長期的な発展 吉本興業は芸能事務所である以外に、テレビや映画、ネット番組などを企画する部門もあり、台湾のテレビ局とも一緒に仕事をしている。 もし僕たちが中国語ができて、台湾で生活していれば、吉本の他の芸人が台湾に来た時に、僕たちにも出演のチャンスがあります。それか、日本の歌手や俳優が台湾に来た時にも、僕たちがMCをすることができるかもしれない。つまり、僕たちを長期的に台湾に派遣することで、将来的に吉本の海外での活動をよりスムーズにしていこうというわけです。 現段階でいえば、僕たちは主に言語交換で中国語を勉強しながら、台湾式のお笑い文化を研究しています。そして、facebookのファンページを運営したり、youtubeにネタ動画をアップしたりとSNSも利用しています。もちろん、小さいですけど、ライブ活動も行っています。これからの活動はいくつか方向性があって、ひとつは台湾のお笑い芸人ともっと交流しながら台湾と日本の文化の違いなどについてお笑い動画を作っていくこと、もうひとつは「漫才」という概念を広めていくことです。漫才を通して、僕たちが台湾で遭遇した困難や面白いことなどをもっと多くの人に知ってもらいたいです。僕たちが「台湾で生活している漫才師」として面白いことをやっていけると思うし、僕たちが愛してやまない漫才文化を台湾の皆さんに伝えられたらいいなと思っています。 ◆台湾でお笑いをやる上での困難や日本との違いはありますか? 僕らにとって最も難しいことは、僕らが台湾の文化をまだ十分に知らないと言う事です。そもそも、お笑いというのは日常生活に深く関係しているので、台湾の人達が日常生活の中で持っている当たり前と言う感覚を僕達も理解していく必要があります。もちろん言語能力も大きな問題です。今のところ、僕達の中国語のレベルはまだまだです。なので、ライブで笑いが起こらなかった場合も、ネタが滑っているのか、それともお客さんに言語が通じていないからなのかすら分からない。これはかなり難しい問題だと思います。 それから、漫才の「笑いのツボ」自体にもかなり違いがあり、台湾では日本式の「漫才」がまだそれほど理解されていないというのもかなり大きな要因の一つだと思います。日本の漫才も長い時間をかけて進化してきたものなので、「ツッコミ」の形態もすでにだいぶ変わっています。もし台湾で完全に日本のスタイルを使ってしまうと、お客さんにも理解してもらえません。だから、今台湾でライブをするときには、先に少し説明するようにしています。じゃないと、お客さんは「何でいきなり日本人が二人出てきてしゃべり始めるんだ」って思っちゃいますからね。台湾では最初に「漫才が始まりますよ!」、ボケをやるなら、先に「この人がボケです」みたいに言ったほうが、理解してもらいやすくなります。 それから、台湾のお笑い芸人が違うところは、日本では「お笑い文化」というのは芸人の発想から始まっているのですが、台湾ではテレビでお笑い芸人がいる以外に、ネット上にも多くの「お笑い有名人」がいることです。ビデオや動画を作ったり、漫画を描く人もいて日本とは全然違っています。台湾ではfacebookがテレビよりも大きな影響力を持っていますが、日本ではSNSはそこまで流行していないのでこのような形で活動している人は多くありません。なので、台湾の多様なお笑い文化は僕たちに多くの刺激を与えてくれました。 ◆台湾には多くの「お笑い有名人」がいる。これは日本にはない現象だ 台湾のこのような「お笑い有名人」はほんとにプロフェッショナルだと思います。彼らの作るビデオはどれもレベルが高く、日本ではこのような事は通常専門の人しかやりません。僕らもこういう作品を見ながら、台湾人がどういうものに興味を持つのかを学び、そこから方法を学んだりしています。例えば福山雅治さんが結婚することになった時、僕たちもビデオを作りました。でもクオリティはやはり、台湾の「お笑い有名人」が作ったものには及ばず、まだまだ頑張らなければなりません。それから、台湾の話題の範囲は本当に広くて、「鉄板ネタ」みたいなのがないので、これは日本では想像できないことですね。 ◆台湾人が日本でお笑い芸人になれると思いますか? 台湾人が日本でお笑い芸人になるのはかなり難しいことだと思います。台湾人は実はすごく優しく友好的で、僕たちがライブで面白くなくても、何を言ってるか分からなかったり、文化の違いから理解できない部分があっても、お客さんは応援してくれますが、日本だったら面白くなかったら、お客さんは笑わないし、メンツを立てようともしません。 特に「漫才」芸人であれば、さらに難しいと思います。なぜなら漫才は基本的に言葉だけで笑わせる方法です。だから、日本人と同じくらいの言語レベルがなければ難しいでしょう。それに、台湾にはたくさんの面白いビデオがありますから、まずはこれらのビデオを日本語に訳してみて日本人の反応を見ることから始めるのも、いい始め方かもしれません。元々日本人には中国語の話し方は強い口調と言うイメージがあります。しかし、僕達は台湾の人の話し方に温和なイメージを持ちました。なので、その口調でツッコミをすると、日本人は違和感を覚えるかもしれません。これも台湾人が日本で芸人をやる上で克服しなくてはいけない部分だと思います。 インタビューをした日、私たちは吉本興業の東京本社を見学させていただいた。吉本の本社はとても特徴的で、オフィスは廃校となった小学校を改造したものだ。社員の多くはもともと「職員室」だった場所で仕事をしており、以前教室だった場所が今は会議室となっている。体育館はワーキングスペースとなっており、建物の真ん中には小さな広場があって、とても印象的な場所であった。 さらに、喜ばしい知らせが届いた。今回のインタビューを終えた後、漫才ボンボンの台湾でのテレビ番組のレギュラー出演が決まったそうだ。今後、彼らの更なる活躍が期待できそうだ。   (中文原文: 綜藝產業海外推廣計劃 日本搞笑藝人「漫才少爺」長駐台灣)...

こんにちは!わたしは日本から来た台湾人です- 日本語編集者KIKI

日本で働く台湾人数の統計(2015)の記事中の資料からわかることは、日本で働く台湾人の中で最も多くの数を占めるのが永住権を持つ者であるということである。さらに配偶者として入国した者を含めると、半分近くの台湾人が日本で長期に渡って生活するつもりがあるということになる。さらに、日本は制度上二重国籍を認めないため、家庭を持ったら、その子供は台湾国籍を持つことになるというのも一つの選択となる。となれば、もしかしたら「日本で生まれ育った台湾人」というのは、そこまで矛盾した響きにはならないかもしれない。 今回インタビューしたKiKiもそのひとりである。パスポート以外、普通の日本人と変わらない彼女は日本や台湾にどんな思いを抱いてて、またなぜ台湾への大学院進学を決意し、台湾で働こうと思ったのだろうか。      簡単な自己紹介   わたしは日本で生まれた台湾人で、小さい頃から日本で育ちました。日本の大学で教育学を専攻し、卒業後台湾の大学院に進学するのを決め、台湾では華語教育を学びました。2015年に修士を卒業したのちには、台湾の出版社にて日本語編集を担当しており、主に日本語の教材を作っています。   どうして台湾の大学院に進学することに決めたのか?   わたしの家族は祖父と父の代で日本に来ました。なのでわたしは日本での3代目になるのかな。わたしがまだ小さい頃、周りの大人たちは台湾の文化と親しみがあって、小学校を卒業するまでは毎年台湾に帰って親戚と遊ぶこともありました。だから、その頃はまだ自分が台湾人だという意識がまだあったかもしれない。でも、中学校に上がってからは勉強が忙しくなって、台湾に帰る機会も減っていきました。自分も何だか他の日本人のお友達と違うなという意識が出てきて、特に思春期になると、ちっちゃい違いとかでもすごく気になってしまうじゃないですか(笑)。だからしばらくはあまり台湾のことは考えないようにして、距離を置いていました。 大学生になって、夏休みにアメリカへ短期の語学留学に行く機会がありました。その学校で台湾人の留学生たちと知り合ったのです。その時、どこから来たのか聞かれると、自然と日本から来たと答えるけれども、でも相手に日本人だと思われるのはちょっと違うなと思った自分がいたのです。その時に、自分のアイデンティティーに戸惑いがあることに気がつきました。 自分が育ってきた背景や経験を振り返ってみると、行動や思考は日本人と変わらない気がするのに、でも何だか違うなという気がする。たとえば、名前とか、両親のしつけとか。うちの両親は外国人だからという理由でわたしたちが遅れをとらないようにと、いろいろな習い事をさせました。そのためによく母は車で学校まで迎えにきたりしていました。周りの日本人の子たちはそんなこと全然なかったので、当時わたしはそれがすごく嫌でしたね。 大学を卒業してから、周りの日本人の友人たちはほとんど就職しました。ただ、わたしはすぐ働きたくなくて、もっと勉強したいと思った。もともとは欧米系の大学院にあこがれていたけど、ただいろいろ考えているうちに台湾や、自分のことについてもっと知りたいと思ったので台湾で華語教育を学ぶことにしました。   台湾と日本で勉強してみて、どんな違いがあると思う?   台湾の大学院に来てから日本と台湾の教育にはいろいろ違うことがあることに気がつきました。まず、最も驚いたのは、台湾の多くの学生が大学院を受験するために塾や予備校に行くこと。日本では何か特定の専門領域の大学院を目標としない限りは、塾に行かず、家や図書館などで自分で準備することが多いと思います。さらに驚いたのは台湾の大学院へ進学する学生の比率が日本のそれよりずっと高いこと。ただ、台湾ではすでに高学歴化が進んでいて、大卒はもう珍しいものではなくなっているということが関係しています。日本でもある程度はそうと言えますが、台湾ではそれが学生に直接与える影響が日本よりずっと大きく、深刻なものなのです。これも後から知ったことなのですが、台湾人学生の大学院への進学動機の多くのがより良い就職をするためなのです。なぜなら学歴が台湾の若者の仕事や就職先の待遇に大きく影響するからです。 では日本はというと、日本の多くの大学院生の主な目的は研究になります。なので、大学院へ進んだ学生の中で、研究の道を志している人は少なくありません。理科系の学生には一般企業への就職を前提として修士に進む者も確かにいますが、でも日本では多くが大学を卒業したらそのまま社会人になります。 では、なぜ日本と台湾の間にこのような違いがあるのか考えてみると、その原因は就職における制度の違いにある気がします。日本の大学生が仕事を探す主な手段はいわゆる「就職活動(略して、就活)」になります。就活は毎年大学と企業が提携して行い、多くの大学生が就活を通して仕事を見つけます。上手く行けば、大学卒業前に企業の内定をもらえることができます。よって、日本の就職市場においては新卒のほうが有利であるのに対し、台湾ではそうではないので、台湾の学生は卒業までにいかに自分の専門スキルを高められるかが重要になってきます。なので、台湾の大学院は日本の大学院に比べて、もっと実用的なことが求められるし、実習やインターンの機会や種類も多いと思います。     台湾で他にカルチャーショックを受けたことは?   台湾の若者は海外志向が強く、海外の大学院へ進んだり、就職したりすることを目標にしている人が少なくありません。外国語能力も高いと思います。英語はできて当たり前だし、多くの人がそれ以外に第二外国語を学んでいます(日本語や韓国語、フランス語など)。日本の若者はそれに比べると、海外志向が強くなく、日本の大学生の中には「英文学科卒だけど英語できません」とか、「TOEIC800点取ったけど、外国人と話すのは無理です」みたいなのは結構普通だったり…。自分の周りの友達を見てみても、海外に出たいとか、留学したことある人は少数派です。 台湾人と日本人の女性のキャリアに対する考え方もだいぶ違います。日本では結婚を目標にしている女性が少なくありません。もう昔ながらの専業主婦みたいな考え方はさすがに古くなってきているとは思いますが、やはり結婚を重視している女性はまだまだ多く、仕事バリバリやっていきたいみたいな人は少ないと思います。むしろそういう女性は例外として扱われるかもしれません。台湾では夫婦共働きが当たり前なので、日本より働いている女性はとても多く、仕事も見つけやすいです。なので台湾の女性の方が考え方が自立していて、自分のキャリアや専門に対して高いプライドを持っている気がします。   大学院を卒業した後、どうして台湾に残ろうと決めたのか?   「どうして台湾で働くの?日本で働いたほうが良くない?」という質問は本当によくされるので、ここでいっぺんに答えてしまいたいと思います(笑) 確かに、給料や待遇で考えると、日本と台湾では大きな差があります。でも台湾で働こうと決めたのは、仕事の内容で就職を決められるからです。台湾では自分のやりたいことや好きなことを仕事にできるチャンスが日本よりずっと多いと思います。以前父に言われたのですが日本では単に就職とはいっても「職に就く」のではなく、「会社に就く」という考え方のほうが一般的だと言っていました。当時はその意味がよくわからなかったのですが、自分がいざ就職となった時に、その意味がよくわかりました。日本では就活の際、「仕事を探す」というよりかは、「会社を探す」感じになります。そうなると、やはり大企業がいいということになって、人気の大手企業は説明会の申し込みでさえ奪い合いとなります。会社側も、新卒に対して「こういう職の空きがある」という形で応募は通常かけません。新入社員は入社して3か月研修を受けた後に、それぞれの部署に配属されます。日本のこうしたシステムは新人教育を重視しているからともいえるし、ただ自主性に圧をかけてしまっているともいえます。「石の上にも三年」とも言いますが、このようなシステムはこれから変化を強いられるでしょう。 わたしは、自分の成長してきた環境とバックグラウンドの関係で、文化の多様性や言語教育にずっと興味を持っていました。大学でのメジャーは教育学で、とくに外国籍の子どもたちの言語教育に関心を持っていました。台湾では華語教育を専攻し、修論ではバイリンガル教育を題材にしたこともあり、台湾で日本語編集として日本語の教材開発に携わることにしました。今はLiveABCで日本の教科書を作る傍ら、 日本女孩在台北というフェイスブックのブログで、台湾で見たこと、感じたことを記録しています。     自分にとって台湾と日本とは?   実は当初台湾に来たのは、日本にいるのが嫌だったというのがあります。日本で生活しいると何とも言えないストレスに常に付きまとわれる感じがして、何だか社会全体が重い空気に包まれている感じがするのです。特に東京という大都市は恐ろしく、街全体が常に大きな口を開けて待っていて、一歩でも踏み外せば飲み込まれてしまうような感じがするのです。台湾に来て、すぐにその開放的で自由な生活スタイルに魅了されました。でも半年も過ぎると、それもいわゆる文化におけるハネムーン期というやつだったことに気づかされました。それからは客観的に2つの文化を比べるようになり、そうしたら2つの文化の間に優劣はなく、どちらにもいいところと悪いところがある、2つの全く異なった文化であり、比べることのできないものだとわかったのです。そこで上手くやっていけるかどうかは、どの国で生活するかによって決まるのではなく、そこで何をするかによって決まるのだと思いました。 わたしにとって、台湾と日本、両方とも同じように重要で、同じくらい好きです。2つともわたしにとっての「帰る場所」であり、どちらにも家族や友だちがいて、それぞれの生活環境や文化が心地よいと思えて、両方の地でかけがえのない思い出もたくさんできました。世界に2つも帰れる故郷があるということは、わたしにとってとても幸せで幸運なことだと思います。わたしは海外に出ても現地になじめず、さらには現地での生活にがっかりしたために帰国してしまったという人も見てきました。残念だと思うのは、こういう人たちは結局同じ角度でしか2つの国を比べられず、自分と違う土地や文化を受け入れられなくなってしまい、その結果その国の良いところを見落としてしまうからだと思うのです。だからそういう意味でも、自分はとても幸運だったと思うし、この2つの故郷をより大事にしたいなと思うようになりました。   日本で生活したい台湾人へ何かアドバイスは?   言語は不可欠要素である以外に、日本文化に対してもある程度理解を深めておいた方がいいと思います。日本は「空気」を非常に重んじる社会です。確かに、これが日本文化において外国人に日本文化の排他性を感じさせる部分であることは認めますが、「郷に入れば郷に従え」という言葉の通り、日本へ行く以上は必要不可欠だと言えます。日本には「社会における暗黙のルール」が存在していて、まずはそれに慣れることから始めることが必要でしょう。なので、日本社会に適応したかったら、まずは日本人同士の人付き合いに関してある程度理解してから行った方がいいと思います。じゃないと、日本に行ってから人様の地雷を踏みまくることになってしまいます。それから、日本での生活に対してあまり期待しすぎるのはお勧めできません。行ってから絶対にがっかりするからです!(笑) 日本へ行ってからは、現地の文化に適応する努力をしながら、文化の良いところ、もしくは悪いところのどちらかだけを見るのではなく、自分の母国の文化と現地の文化を客観的に比べるようにするといいと思います。わたしは、ひとつの国を愛するということは、その国の良いところを見つける以外に、悪いところも受け入れながら、その経験を糧に自分を成長させていくことだと思うからです。そしてこれこそが現地で生活する一番の意義だと思います。   ...